カテゴリー別アーカイブ:山賊の昔話し
竈(かまど)店の開店当初

これは
31年前の竈(かまど)店の開店当時です。
今と比べてすごくすっきりしてます。
このお店が建った経緯は
大勢のお客様がお見えになられた際に
「いろり山賊」だけではお客様の座る御席がないために新しく隣に建てることとなりました。
昔の庄屋さんなどの
少し裕福な家がモチーフで
「いろり山賊」と比べると少しだけ
高級な店舗なんですよ♪
投稿日:2013年8月19日 13:29 PM カテゴリー:
山賊の昔話し「挑む」

いろり山賊の特色のひとつである「店づくり」に挑んできた
弊社
社長の「高橋貫太」が26年前に載った
桃李庵の建築中の時の新聞記事です。
昭和45年頃から最初に開店した「いろり山賊」をはじめ6店舗の建築に挑んできました。
素人でありながら分からないことは勉強し、本物の日本建築の良さを追求してきました。
社長の思いを継承し、社長と共にこれからも、どこにも無いものをつくりあげ
「感動を創造」できるように挑戦していきます。
投稿日:2013年3月2日 12:30 PM カテゴリー:
山賊の昔話し山賊魂稲成神社(さんぞくむすびいなりじんじゃ)
「山賊魂稲成神社」は昭和63年に根笠の瀬倉(おそくら)部落よりここ山賊の境内に移築して参りました。
いろり山賊の元に、当時の総代田村様より過疎化の為崩壊寸前の
「河内大明神神社(津和野太鼓谷稲成の分身)」の移築(移設)のお話がございまして、「世直し」の幟を掲げて商売をしている時に神社を移設するのも ひとつの世直しではないかと山賊に移設されました。
最近では年1回お祭りも開催し、神楽舞奉納もしています。
投稿日:2010年1月8日 15:12 PM カテゴリー:
山賊の昔話し薪でご飯を炊く

山賊の副社長は「いろり山賊」の創業者になります。現在は92歳ですが、毎日元気です。やはり昔の方は鍛え方が違います。
私は時々、相談などに行きますが、92歳とは思えないほど的確な判断をしていただいています。
今日はその副社長の教えの一つを紹介します。
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本部長よ、もしも・・・・
お店がはやらなくなり困った事になれば・・・
なにも迷う事はない!
「その時は、薪でご飯を炊きなさい!」***************************************************************************
最初は意味がわかりませんでした。しばらくたってからやっと真相がわかりました。
ご飯を薪で炊くという事は
「初心に帰れ」という事だと
常日頃から、自分達は何をしたいのか見失っているかもしれません。目先の事に追われて、それが仕事になっているかもしれません。
「お客様にどうしたら喜んでいただけるか」を頭にいつも置き、考えて行きたいとおもいます。そして、基本である
「挨拶」「笑顔」も忘れないようにがんばります。
そうそう、ところで写真がいい感じでしょ?
なにを隠そう!わたしの撮影です(^〇^)v
少しブレ気味ですが(汗
投稿日:2009年11月17日 10:35 AM カテゴリー:
山賊の昔話し的場大学の店内

いろり山賊の前身である
「大学」の写真を発見しました。
しかもこれは一番最初の
的場時代のようです。
「大学」は広島の的場で生まれ、その後的場地区の区画整理のために堀川町に移動しました。
という事でここが
、「いろり山賊」の発祥の地になるわけです。
店内は同じちようなコンセプトで作られているように感じます。
囲炉裏もあり、落ち着いた雰囲気です。
ところで、
広島から山口に移転したのは理由があります。
それは広島では敷地の場所が限られていて表現したい事の実現が難しかったからです。
それから将来に向けて料理のメインを海の幸か、牛肉か考えて牛肉を選択しました。美味しい牛肉を安く提供する為には自分達で
牛を新たに開発するしかないと結論がでて、牧場を求め山口に来たのも一つです。そしてドライブインなどがまだない時代に先は自動車文化が発展すると予想し、郊外の店を構え、なおかつ
「ドライブイン」ではなく
「ファミリーレストラン」と名乗りました。この当時はまだ「ファミリーレストラン」というものはあまりなかったと聞いています。
今回この写真を見た事により、基本に立ち返り
「お客様にいかに喜んで頂ける」かを常に考え行動していきたいと改めておもいました。
これからも「いろり山賊」を宜しくお願い致します。
投稿日:2009年3月1日 8:15 AM カテゴリー:
山賊の昔話し